林の中の象のように。

今思うこと。

歌うたい

9時頃起床。相変わらずルームメイトが起きてこないので、いつものように弾き語りの練習をしに地下ラウンジに向かう。アジア系学生が課題らしきものに取り組んでおり、迷惑かななどと考えつつも他に練習場所も無いので、彼女からできるだけ遠いソファを陣取る。ストレッチなどのウォーミングアップを済ませ、最近お気に入りの曲を練習し始める。昨晩、期末テストなどの疲れもあってぐっすり寝れたかげか、非常に声の調子がよい。先の彼女のことなど完全に忘れ、練習に没頭していた。しかし、始めてから20分ほどだっただろうか、その彼女に声をかけられる。流石にまずかったか、等と考えていると、一緒に演奏してもいい?と一言。

彼女は急いで自分の部屋からアコギを持ってきた。ジャムなんて洒落たことはできないので、先ほど練習していた曲を一緒に演奏して歌ったり、お互いに曲を披露しあったりした。彼女は香港からの学生らしく、全く知らない曲ばかりだったが、広東語の歌の響きはなかなか新鮮で興味深いものであった。日本語も少し勉強しているらしく、YUIの曲を片言の日本語で歌っていた。外国人が頑張って自分の母国語を使おうとしている状況における、かわいいなぁという感情はどこから生まれるのだろうか。不思議なものである。

まぁ、何を言いたかったのかというと、歌を練習してきてよかったなぁと思ったということだ。僕は半年ほど前までとにかく歌に対する苦手意識が強く、実際下手だった。しかし、真面目に練習し始めてみると、意外とすぐ人並みに歌えるようになった。今僕の歌を聴いたところで誰も何も思わないだろうが、自分が歌うことが楽しいと思えるようになったことが、僕にとっての非常に大きな変化なのだ。

 

次の世界を見るためには、大きな困難を乗り越えなければいけない。

 

そして、その困難を困難と感じているようではまだまだである。

 

嫌なことを無理してすることを努力とするならば、僕は今まで努力したことは一度も無い。次の世界をみるために費やす時間は、僕にとってはその時間そのものも含めて大事なのだ。もっと音楽を知りたいと思った。