赤と緑
今年のクリスマスも彼女はいなかった。というか、生まれてこのかたそういう話とは無縁である。
こういう日に恋人がいない人はどのように過ごすのだろうか。
家で家族と過ごす人、部屋で一人で過ごす人、同じ境遇の同姓と集まって過ごす人。
僕はというと、こういう日にはあえて外に出る人だ。
なんでそんなことをするのかというと特に理由も無いのだが、強いて言うならば常にマイノリティでいたいという僕の天邪鬼な性質のせいかもしれない。街中がカップルだらけという環境下に一人でいることで、街の特異点になったような気がして心地よいのだ。特にやることも決めず人の集まる場所をふらふらする。
どこもかしくも赤と緑の華やかな装飾がされており、クリスチャンでもない人々がクリスマスを謳歌している。それにしても、いつ見てもクリスマスカラーというのはミスマッチングだと感じる。色彩学的にはこの2色は補色という関係にあり相性は良いらいいが、やはり僕は歪だと感じる。そんなことを考えながら特異点ごっこを終え、家路につく。
家に着いた後はクリスマスソングを一曲練習する。これもまた大学に入った頃からの恒例行事だ。今年はせっかく歌の練習をしたので、ギターソロではなく弾き語りでJohn LennonのHappy Xmas。ガットでは雰囲気が出ないが仕方ない。
そんなこんなで、最近思うことは、音楽を成す要素のうちの、音楽をする人そのものが占める部分がいかに大きいかである。この曲も、ただのクリスマスソングでは無く反戦のメッセージを込めた名曲であるが、果たしてこれがJohn Lennon作でなかったら人々がここまでいい曲だという認識をしていたのかどうか、ということ。
もっと簡単に言うと、20の若造が、ずっと好きだったんだぜ、なんて歌ったところで誰の胸にも響かないだろうということ。
何者でもない自分は、やはり、無機質な音楽のための音楽のようなものが合っていると思った。
純音楽の追求。
的な。